2016年5月19日木曜日

日本で税金支払わないアグネス・チャン専用対策班を国税が設置? 安いギャラの上に85%も税金取られるのが不満のAgnes Chan(アグネス・チャン)氏、半年に一度の香港帰国で税回避か→引退後は自身も子供達も米名門大学へ

究極の合法的節税法「終身旅行者(PT)」とは!?
http://www.shanimu.com/backnumber/pdf/13/setsuzei.pdf
先日、浜松大学の竹村之宏教授のお話を直接うかがったのだが、ヨーロッパの有識者は日本人を称して「知らされていない民族」といっているそうだ。 
終身旅行者になると税金が激減することや、海外の生保が日本の半額程度で入れることを、知らされていないのだ。レベルの差こそあれ、北朝鮮とまったくおなじシチュエーションなのである。 
終身旅行者とは、このように複雑化している世界を相手に、日本一カ国のみに自分のライフスタイルを委ねるのではなく、複数の国々をうまく使い分けて、したたかに生きていくという究極のライフスタイルである。これを欧米ではPT(PermanentTraveler)と呼んでいる。 
PTとはどのような手法なのか。ある国の居住者になれば、当然、その居住国において納税の義務が発生する。そこで、定期的に居住する国を替えて、税務上、どこの国の「居住者」にも属さない「終身旅行者」になるということだ。 
代表的な日本人PTは、大橋巨泉氏、美川憲一氏、アグネス・チャン氏(現在は分かりません)らだと噂されている。彼らは、居住者にならない程度の出稼ぎに、日本に時折来日(帰国ではない)する。 
話がずれるが、昔、国税庁の渡辺淑夫さん(有名な税法学者。大学教授)の下で税務通達を作っていた元キャリアにお話を聞いたことがある。 
庁内に「陳美齢対策班」があったそうだ。レコードが大ヒットしたのだが、日本の居住者になる前に香港に一時帰国する歌手がいた。何とか彼女に日本で税金を払わせようとの対策を考える班だった。陳美齢とは、まさにアグネス・チャンその人だ。 
要は、四季に合わせてその季節に最高の世界の地域4カ所を巡回して生きる究極の生き方。必要なとき来日(くどいが帰国ではない)すればよい。

「PT(パーマネントトラベラー)」ってなに?そんな人は是非この小説を!〜「永遠の旅行者」(橘玲)
http://kentasaka.hungry.jp/star/archives/3046

日本でただ一人の「PT研究家」でファイナンシャルプランナーの木村昭二氏は、『税金を払わない終身旅行者—究極のPT節税法』(総合法令)でPTを次のように簡潔に定義しています。 
「ある国の居住者になれば当然にその居住国で納税の義務が発生するので、合法的に納税義務が発生しないように6カ月や1年毎に居住を変えて税務上、どこの国の『居住者』にも属さない『終身旅行者』になるということ」

国家はただの道具だ。利用できる人間が利用すればいい。

歌手からアイドルへ ~ Agnes Chan/陳 美齢 FOREVER 
アグネスの芸能活動でもうひとつ特徴的なのが、ビザ書き換えのために、定期的に香港へ帰っていることである。アグネスは外国人芸能人招へいビザ(業務用)で来日している。このビザでは、滞在6か月で一旦本国に帰国し、改めて申請し直す必要のあるものである。もちろんアグネスとて例外ではない。1976年の引退までの香港との往来をまとめると、次のようになる。 
(1)1972年12月22日~1973年 6月18日:日本滞在
   1973年 6月18日~1973年 8月 9日:香港帰国(52日)
(2)1973年 8月 9日~1974年 2月 4日:日本滞在
   1974年 2月 4日~1974年 3月15日:香港帰国(39日)
(3)1974年 3月15日~1974年 9月10日:日本滞在
   1974年 9月10日~1974年10月28日:香港帰国(48日)
(4)1974年10月28日~1975年 4月25日:日本滞在
   1975年 4月25日~1975年 6月 6日:香港滞在(42日)
(5)1975年 6月 6日~1975年11月25日:日本滞在
   1975年11月25日~1975年12月19日:香港帰国(24日)
(6)1975年12月19日~1976年 6月15日:日本滞在 
アグネスは都合6回、日本と香港を往復している。
引退 ~ Agnes Chan/陳 美齢 FOREVER 
1976年6月15日。アグネスは香港に戻った。 
両親と姉たちはアグネスを待ちかねていた。父、陳燧棠は言う。「そろそろ芸能界を辞めるべきではないか」 
家族会議が始まった。
(略)
6月25日、午後2時30分。香港のテレビ局CTVの記者会見場には、約50人の芸能記者が集まっていた。記者はすべて地元の人たちで、日本の記者は一人もいなかった。集まった記者は、CTVが7月4日に放映予定の”ザ・ベスト・オブ・アグネス”の内容紹介だろう程度に考えていた。進行役のCTVプログラム・マネージャー朱奇才に伴われ、アグネス、母の端淑、姉のアイリーンとヘレンが登場した。そして、アイリーンがおもむろにアグネスの引退とカナダ留学を発表したのである。 
記者会見場は騒然となった。次々に質問が出る。質問が、「なぜ日本の関係者や友人に黙ってこの席で発表するのか」に及ぶと、アグネスは涙ながらに、「日本で発表したらとめられるのはわかっていました。それにファンの人に悪くてとてもいえなかった。契約のことはいっさい父と姉まかせですが、引退は家族会議にはかって全員一致でこの結論を得ました」と、答えた。 
この突然の引退発表は、翌26日の香港各紙に、トップ扱いで一斉に取り上げられた。その報は概して好意的で、カネに流される生活から敢然と真剣な生活に戻った、というようなものだった。その第一報が日本に届いたのは、その日の午後のことである。 
それらの情報によれば、引退の理由は、20歳になったこと、日本の上智大学で学んだ心理学を、9月から新学期のはじまるカナダで続けたいこと、日本は税金が高く、仕事をしても収入の約85%は税金に持っていかれてしまうこと、などである。また、撮影がはじまったばかりの新番組「新・二人の事件簿」については、「交通事故で死んだことにしてくれてもいい」と述べたと伝えられた。また「みんな、まもなく私のことを忘れてくれるでしょう」と述べたとも伝えられた。 
この引退劇の特徴は、最初から最後まで本人が日本に不在だったことだ。また引退の理由も、学業に専念する、だけでは当時のマスコミを納得させられなかった。いきおい、憶測が憶測を呼び、さまざまな噂が飛び交うことになった。香港からの報道のほか、例えば次のようなものである 
ギャラ不満説 アグネスは、日本でのギャラは安すぎると不満を持っていた。 
プロダクションとの不仲説  アグネスは、渡辺プロの姿勢に不満があった。 
恋人-結婚-引退説 26~27歳のいかにも育ちのよい良家の青年で、アグネスが帰省中の香港の家にも出入りしていた。 
(略)
この番組では放送されなかったが、芸能界に対する不満、税金問題に関しては明快に否定している。また、日本にいて一番印象に残っているものは、と聞かれて、「目の見えない不幸な人たちの施設を訪ねて、わたしの歌を聴いてもらったときの感動が忘れられません」と語ったという。
(略)
なお、アグネスは、コンサートで得たギャラを、全額カトリック協会に寄付した。彼女は、日本の施設で使ってもらうことを希望していた。もっとも、「チャリティにするなら、1万ドルのギャラを4千ドルにする」という渡辺プロの姿勢に、アグネスが激怒し、両者のミゾは一層深まった、というオチがついた。
アグネス・チャンは「中国籍」ではない! 「香港のイギリス国籍」ってなに?
http://www.j-cast.com/2014/10/14218335.html
番組は、2014年10月12日にフジテレビ系で放送された「新報道2001」。金さんとアグネスさんは、1997年に香港が中国に返還される直前、環境の変化を恐れて海外に避難する香港住民が相次いだという点では意見が一致した。ただ、アグネスさんは返還を機に選挙制度が充実したとして、海外に避難した人は香港に「戻ってきた」と主張した。  
これに対して、金さんは 
「ただしね、全部外国の国籍を取ってから戻ったの。全部ね。カナダだとかイギリスだとかオーストラリアの国籍を取ってから、また香港に」 
と、香港に戻ってきた人は「保険」をかけた上でのことだと主張した。 
番組では触れられていないが、アグネスさんの長男はカナダ、二男は米国、三男は香港で生まれている。夫の日本国籍とあわせると、国籍について数種類の選択肢があったことになる。 
やり取りを聞いていた東洋学園大学教授の朱建栄さんが
「アグネス・チャンさんは何の国籍ですか?」 
と質問し、アグネスさんが
私は、香港のイギリス国籍です」 
と答えたところで、番組は次のコーナーに移った。 
アグネスさんは返還よりも前の段階で、自らが英国籍だということを明らかにしている。アグネスさんは、返還を1か月前に控えた1997年5月31日の毎日新聞夕刊に掲載された特集記事にも登場。記事の中では、 
17歳の時、生活の拠点を日本に移して以来25年。日本人と結婚し3人の男の子をもうけたが、今も英国籍のままだ」 
と紹介されている。この記事によると、「中国籍だと、外国へ出るのが面倒だから」という理由で、英国籍(英国植民地籍)を選択したという。 
記事の「英国籍(英国植民地籍)」は、英国海外市民(British National Overseas、BNO)のことを指すとみられる。
サタデープラス 2015年10月31日放送回
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/tbs/55100/904973/
永遠のアイドルにして、超名門スタンフォード大学出身のアグネス・チャンだが、日々安いモノを探し求める倹約家。1955年香港に生まれたアグネス。父は、親戚も養っていたため、貧しかったため、革靴が買えず、色を塗っていた。1972年 17歳の時に歌手として日本へ。73年にはデビュー曲で紅白に出場。しかし、人気絶頂で1年間休みがなく、身の回りのことは全て、マネージャーが行っていた。それを見た父が激怒。「お金や名声は流れるもので、奪われるもの。1度頭に入った知識は誰も奪うことは出来ない」と言われ、デビューから2年で芸能活動を休止。1976年にトロント大学に入学し児童心理学を専攻、帰国後、結婚・出産を経て、1989年 名門スタンフォード大学に入学し、教育学博士号を取った。大学院で学んだ教育理論を息子で実践し、英語で話しかけたり、首がすわる前から本を音読させた。長男は3歳、次男は2歳半、三男は2歳でひらがなを覚えた。その結果、兄弟全員スタンフォード大学へ進学した。





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